性別とか年齢とか血液型だとか。分類の日常的ファシズム

2012年1月6日

分類主義 は いやだから 性別、年齢、血液型はできるだけ 非公開 にしておこうかな なんておもってる。

年齢 も 血液型 も 秘密です!
なんていうと めんどくさいやつ だなんて思われるかもしれない。
だけど“めんどくさいやつ”けっこうじゃないか。

『めんどくさいから、分類して まとめてしまえ』
ぼくは そういう圧力に ていこう してるんだ。
人間 っていうのは そういう“めんどくさい”もの なんだよ。
特徴の 一部だけを とりだして 分類できるほど 単純じゃないんだ。

性別が ひつようなのは 医療のとき。
血液型の情報が ひつようなのは 輸血のとき。献血のとき。
ひつようない ときに きかれて こたえる筋合いはないよ。

『ふつうは 年齢 とか 血液型 とか隠さないよね?なんで言わないの?』
え?なんだって?
そういうのが さいあくの 抑圧だって いってるんだよ。

“ふつう”ってなに? 平均値のこと?
ただ「ふつうの人」なんていないよね。
みんな いろんな特徴をもってるんだ。みんな いろいろ変なんだよ。
ぼくも 変なんだ。変人なんだ。変態なんだ。それで いいじゃない。

ぼくだけじゃないぞ。おまえだって、変人だし、変態なんだ。
でも それでいいじゃない。「ふつうの人」なんて いないんだよ。

雑談で

2012年1月6日

友人と雑談してて、恋愛の話になって、いろいろと彼女の話とか聞かされて、へーそんなこともあるんかと思って、親身になってアドバイスした。
後日、村上春樹の小説を読んだら、まったく同じストーリーだった。というか、恋愛以外の日常の雑談にもネタ元が。
こういう風に小説の話を自分の話として騙る人がいるというのは、オレにとっては驚き。本当に脳内乙ですよ。
なんでこんなことすんだろ。オレの体験談を引き出すための釣り込み?
ともかくもやもやと不快な気分が残った。

当たる口コミ占い師

使えない個性も要ります

2012年1月6日

個性ってのは、普通にしてりゃ誰にでもあるもので、当然使えるのもあれば、使えないものもある。
じゃあ使えない個性は「かけがえのない」ものか、それとも単に「要らない」ものか?
どうしようもなく使えない、誰もが歓迎しないような個性を持っていて、
でもそこを否定されると人格が全て否定されてしまうような個性を持っている人がいたとして、
しかもその人は周りにそれを認めてもらおうと頑張っているときに、
「キミの個性は要らないよ」と言うのは、正しいこと?
たぶん彼が持っているような個性は、誰しも多かれ少なかれ持ってる個性で、
そもそも個性なんて社会からしたら、最初から要らない。
こないだの村上春樹的に言えば、システムという壁の前に、卵は常に「要らない」もの。
だったら一般論として、「使えない個性は要らない」というのはおかしくて、
確かに大々的にキャンペーンする必要はなかったけど、「使える個性の幅を増やすべき」と思って当然。

ていうか「自分は個性的だという不良債権と化した自意識を胸に、平凡な日常をのたうち回っている」人って、
ただ、個性を言い訳に使ってる人だと思う。そんなこと言う時点で個性的でもないし。

江原・島田オススメパワースポット

悪意訳イマジン

2012年1月6日

「英霊」なんかいるわけないだろう
科学的な認識ってやつを身につけろよ
天国も地獄もない
空とか地面があるだけだ
人々よ単に今を生きろ
動物化するポストモダン

労働者に祖国はない
失うものは鉄鎖のみ
命を賭けるに値するものなどない
宗教はアヘンだ
人々よ日々何事もなく
終わりなき日常を生きろ

 そんな思考停止したサヨみたいなのは
 おまえ一人だけだと君は言うかもしれないが
 実はそうでもないんだぜ
 君も早く目を覚ましてこっちの世界に来いよ

私有財産の廃止!
同意しないなら君は人民の敵だ
生産力の増大がすべてを解決する
世界は一家 人類はみな兄弟
人民よ今こそ起て
獲得するのは全世界だ

 そんな思考停止したサヨみたいなのは
 おまえ一人だけだと君は言うかもしれないが
 実はそうでもないんだぜ
 君も早く目を覚ましてこっちの世界に来いよ

メール占い師

親が早く死んでくれれば…と不謹慎にも思ってしまうことがある

2012年1月6日

子供の頃から成人になるまでぐらいかな.
生活や日常の中で少しは何かを楽しいと思えていた.
その間もそうだったが,その後それらが次第に減っていった.
一応就職したが,それも一年で辞め,今はフリーター 5年目.
月収は 20万と贅沢しない生活に慣れている自分にとっては
一人暮らしには十分過ぎる金額.使う時間がないぐらいだ.
平日休みであり,おそらく正社員で会社勤めしているだろう
学生の頃の数少ない友達や,前の会社で仲の良かった上司とも
何年も連絡を取っておらず,孤独を好むようになってきている.
今更,誰かと関わったり,何かを背負って生きたくないと.
ところが,最近,すぐ近くにある実家に住んでいる
55歳ぐらい(実は両親の年齢というか誕生日が何年か知らない)
の父親の勤める会社の仕事がなくなってきたらしい.
製造業だから,昨今,巷を騒がせている事情によるものだろう.
ここで悩みや不安を抱えてしまった.
仮に父親が職を失ったとしたら,父親と他の家族を養っていけるか.
家族構成はパートの母親と同じくパートの姉(二人合わせて月収 15万)
実家は持ち家でローンの返済が済んでいるのかは知らない.
親自身も仕事減るまでは,割と高級車買ったり(私には考えられない)
贅沢していたから,それなりに蓄えはあるのだろうから実家に戻れば,
家族全員の当面の生活費ぐらいは皆の金を出し合えば補えるだろう.
だから悩みを抱えているのは,あくまで個人的な事情(わがまま)と
言ってもいいかもしれない.そもそも私が実家が近くにあるにも関わらず,
実家を出て一人暮らしをしている理由は,できれば親に頼りたくない.
というものあるけれど,きっかけは姉にお金を勝手に持ち出されたことが
あったからだ,その金が何に変わったか追求したら,エステだったようだ.
今でもろくに家にお金も入れず,家事もせず,エステ通いしているらしい.
仕事から帰れば,親が用意している夕食を愚痴をこぼしながら食べ,
ほとんど片付けもせず,自室で寝るまでごろごろしているような人だ.
私はフリーターなりに,人の手は借りず,
(こう言うのもおこがましいかもしれないが)自立しているつもり.
楽しみなど殆どなく,満足もないが,特別これといって不満もない.
(いつまで今の仕事を続けられるかという不安はあるが,しばらくは
続けられそうだし,今辞めてもこの就職難では仕事などないだろう)
それを今更,親の為とはいえ実家に帰らなければならないのだろうか?
帰れば毎日のように姉の愚痴や他愛もない口喧嘩を聞かなければならない.
元々騒々しいのが嫌いで,仕事疲れて帰って,そんなもの聞きたくないし,
TV から聞こえるくだらないバラエティ番組とかの笑い声とかも癪に障る.
騒がしいのは仕事場とか家の外だけで十分だ.静かに本を読ましてくれ…
一人ではないから仕方ないけれど夕食や風呂の時間を強制されるし,
寝る時間をまるで子どもの様に干渉される.
今この匿名ダイアリー書いてるこの時間にネットもできない.
家を出たから既に自分の部屋がなく,ネットができないという理由から.
今は楽しみと言う程のものなど何もないけれど,
ただ一人で静かに読書とネットして物思いに耽るだけで不満はない.
両親を養う義務感から全て捨ててしまわなければならないのだろうか?
お金を仕送りすれば済む問題だろうか?親もじきに老後世代に突入するだろう.
年金かけてきたとはいえ,貰えるかどうかは分からないし,
貰えたとしても,ずっと健康でいられるとは限らないだろう.
どちらにしても人の手を借りなければ生活できなくなる時が来るだろう.
私は誰かの手を借りなければ生きられないのならば死んだ方がましと
今は思っているが,何十年も経ったらどう考えているか分からない.
誰だって人の手を煩わせずに暮らせるならその方がいいに決まっているし,
親だってそう望んでいるだろう.親が望んでいようと望んでいまいと,
必要に迫られれば手を貸してあげるのが,当然だと思っている(傲慢に聞こえるのか)
ただ,そういう義務感と今のような波風立たない静かな生活の狭間にいると,
基本何も背負って生きたくないと思っていることもあって,
表題に書いてあるようなことを考えてしまうことがある.
あと,私の望んでいるはずの孤独に潰されそうになって死にたいと思ったときにも.
死んだ後のことなどどうでもいいと思っているくせに,親を悲しませてはいけない,
親より先に逝ってはいけないという義務感からできない(し,する度胸もないけれど)
そういう悩みや不安の種を全て棄ててしまいたい時にそう考えてしまうようだ.

片思い

マジコン違法判決は十分に意味がある

2012年1月6日

そも、ゲームソフトの違法コピーの歴史は長い。それは80年代から既に存在し、その当時から既に違法化されていたにも関わらず、「私的複製」が許可されていることを盾に「バックアップ」という名前でアングラの世界で細々と生き延びてきた。
しかしこの国では、ゲーマーの著作権に対する意識が成熟し、またゲームソフトが大容量化するに伴い、その行為は更にマイナー化し、じきに絶えるように見えた・・・のだが、どっこい、韓国、中国と言った未だ著作権と言うモノを「理解」していない国の人間がゲームソフトと、その周辺技術を手に入れて流れがおかしくなってしまった。
折も折、現在の主流ゲームコンソールは他のマシンに比べれば小容量のNintendoDSである。大容量化/低価格化したフラッシュドライブがあれば確保できない容量ではない。マジコンの誕生である。
日本人ゲーマーのモラルが向上したことで、ほぼ壊滅状態であった違法コピーという行為が、未だそれを卒業できていない世界から逆流してきてしまったのだ。
そんなモノをアングラ好きな学生が放っておくハズがない。ある程度のリテラシーを持つ層から順に手を出していく流れができていく。
その流れをアングラ出版社が見逃すハズはなかった。書店の店頭には次々とマジコンについての書籍が並び、あたかもマジコンが一般的であるかのような風潮を作りだしてしまった((この辺り、出版社のモラルも問うべきなのだろうが、私的複製云々を持ち出されると文句の付けようがない))
運の悪いことには、任天堂は丁度DSで、非ゲーマー層を発掘しようとしていた。その狙いは正しい。だが、そこに一つ読み違いがあった。「非ゲーマー層」はかつてゲーマー層が経験してきた「ゲームは著作物である」という認識を得る過程を経ていない。
つまり彼らに取ってゲームとは、ダビングし放題のCD((これ実際のトコ法的にはどうなの?))などと同様の存在に過ぎなかったのだ。そこに先のマジコン本である。となれば違法コピーは普通の行為としか受け取れない。こうして「窃盗行為の日常化」((私にもモラルがありますので、大衆化なんて言葉は使いません))というおぞましい現状が完成する。

・・・と、まあここまでが背景。私の視点からなので、ちょっと事実と異なる所はあるかも知れないけど、大体の所は外してないと思う。
で、じゃあ今回の判決でどうなるの、という話ですが、
違法コピーが窃盗行為であるという認識を広めることができる→既存ユーザに良心があれば違法コピーは減少する
マジコンについての書籍が出版されることを抑止できる→違法コピーを助長する空気の払拭
マジコンの販売が止まることで、マジコンユーザの増加に歯止めがかかり、更なる被害拡大を抑止できる
と言った、基本的には良いことしか思いつきません。

ちなみにDSの同人ゲーム云々の話は、ロイヤリティを払ってライセンスを得て、初めてゲームを出せるのがゲームコンソールという機械なので、そもそもの存在が間違っています。
同人ゲーム作家の皆様にはロイヤリティフリーなPCでリリースされることを期待しております。開発環境整ってるしね。

まよぅ~のブログ

私が地元に戻らないワケ

2012年1月6日

私の地元は田舎だ。小・中学校ともに1校ずつしかない田舎で、9年間同じメンバーで暮らしてきた。
同じ高校に通った奴もなく、実家も郊外にあったので連絡は途絶えがちになった。大学では、地元を離れ一人暮らしを始めた。
そんななか、二十歳になり、地元での成人式を迎えた。中学卒業以来5年ぶりの再開。変わった奴、変わらない奴、近況を報告しあった。
式典も終わり、同窓会に参加した。思い出話を膨らませようと会場へと向かったがそこは違っていた。
そこには、成人式のような雰囲気はなく、普通の飲み会と化していた。
同じ高校であれば2年ぶり、半数以上の地元に残った奴からすれば昨日ぶりだ。5年ぶり組との溝は大きかった。近況・思い出話をしたいなか、日常の話をされたらたまらない。溝を埋めようにも入っていけないのだ。会場の中心では地元・2年ぶり組が盛り上がり、隅で5年ぶり組が座っている。どうせ、明日からまた逢わないのだ、そんな気持ちが頭をよぎった。
地元組が2次会の参加者を募っているなか、私は家路についた。
もう地元には戻れない。あそこには私の居場所がない。戻れば、あの溝をイヤでも実感してしまう。遊んでもどこかぎこちない。誘われなくても疎外感。
離れていれば同級生が何をやっていても気にならない。ならばだれも知らないところで住んだほうがまだましだ。
もうあのころの関係には戻れない。地元を捨てるとまでは言わない。封印してしまいたい。これが私の地元に戻らないワケ。引越し時期になるといつも思いだす。

看護師求人

顔が悪くてもモテる奴はいるが、声が悪くてモテる奴はいない

2012年1月6日

日本人は英語が苦手だと言われる。理由として最初に思い浮かぶのは日本語は欧州系言語に比べて、英語の発音と根本的に異なるからというものだ。しかし自分の経験から考えると、日本語の発音体系に問題があるわけではなく、単に原因は英語っぽく抑揚をつけて喋るのを恥ずかしがってるだけという印象がある。学校の英語の授業を思い出してほしい。音読のときにアメリカ人のように思いっきり抑揚をつけるのは恥ずかしくなかっただろうか?逆に言えば日本人でも感情を込めてメリハリある日本語をしゃべる人は英語の上達も早い。日本語に「抑揚を抑えて発音しろ」というルールがあるわけではないのだ。しかし大部分の日本人は英語圏の人々と比較してボソボソ喋るので「感情が伝わりにくい+発音が悪い」と二重のファルターがかかって壊滅的な英語を話すハメになる。

日本人は農耕民族だから抑揚の少ない言語が発達したのだ、というのは一理ある。だが能楽師や剣道家の発する声を聞いてほしい。抑揚があるというより抑揚しかないと言えるほどにメリハリのある声だ。確かに日本人には猫背でボソボソ喋りがちになる歴史的背景があるが、それは尊ぶべき伝統ではなく克服すべき弱点なのだ。例外的に読経など抑揚を無くすことを良しとする文化もあるが、単純に日常生活でのコミュニケーションに上達したい!というなら抑揚はつければつけるほど良い。良い声というのは抑揚のある声なのだ。低い声や高い声というのは生まれつきだしあまり関係がない。以下、抑揚のある良い声になるための方法をいくつか挙げる。腹式呼吸を鍛えるとか呼吸筋のトレーニングとかは面倒くさいし誰も実践しないので書かない。

1.姿勢を良くする。
やっぱりか、といわれそうだが姿勢というのは声に直結しているし、スラっとした姿勢というのは人類にとって最も普遍的な善だ。その範囲は東洋の古武術、読経から西洋のオペラ、バレエ、果てはアメリカの大統領選挙のマニュアルにまで及ぶ。姿勢を良くするトレーニングというのは何百種類もあるが、最も簡単な方法は「頭のてっぺんに糸がくっついててそこから上にひっぱられてるイメージ」を持つことだ。これならヨガマットを敷いたりダンベルを買ったりする必要は無く、歩いてるときやデスクワークをこなしてるときでさえも、思いたった瞬間に実践できる。

2.自分がデーブスペクターになったと思って喋る
コミュニケーションという観点からみればデーブの日本語は日本人よりもうまい。彼の声はどんなアナウンサーよりも抑揚に富んでいる。なんとなく聞き流してるだけではあまり実感できないが、実際にデーブ口調で喋ってみるとあまりの抑揚の豊かさにびっくりするほどだ。デーブ可愛いよデーブ。

3.相手を言葉の通じない外国人だと思って喋る
「脱オタしたら以前のオタ仲間と会話が盛り上がらなくなって関係が消滅した」というのはよく聞かれる現象だが、これは多くのオタがテキスト化可能な2ch的、blog的コミュニケーションに依存しているからだと思われる。この方法に依存しすぎるとテキストを共有していない人間と話すときに頭がフリーズして感情が生まれなくなり、ボソボソ喋るハメになってしまう。相手と自分に共通点が少かろうとかまわず抑揚のある声で喋れるようになるためには、目の前の人間をブラジル人だと思って喋ってみることが有効だ。言葉がほとんど通じないブラジル人とコミュニケートするには、クソ生意気な小学生のように興奮したりはしゃいだり踊ったりしなければならない。必然的に自分の声はどんな相手に対しても抑揚のあるよい声になる。

個人的には歴史上最もよい声をしているのはヒトラーだと思う。声というのは良くも悪くも絶大なパワーを持っているのだ。

復縁相談

平凡なWeb系PGの日常

2012年1月6日

10:00 出社
10:05 メール確認
10:00 RSSリーダーから巡回サイトを一通り眺める
11:00 ようやく仕事始め
14:00 適当に昼食に外出する
15:00 RSSリーダーから巡回サイトを一通り眺める
17:00 一番仕事に集中できる時間
20:30 帰宅
某大手Web会社からの受注プロジェクトが主な仕事。
機能の細かい修正、拡張が多いので1週間・一人プロジェクトとかも多い。
ので、帰宅時間もまちまち。
肩書きはエンジニア。
仕事場は自社。

こんなPGもいますよと。

復縁占い

観客席にいるつもりの自称中立がカルデロン一家の件を語ってみる

2012年1月6日

この件については「犯罪者を叩き出せ」と言ってる奴らが100%バカだと思ってる。
最高裁まで争ってダメだと言われたことの重みを理解し行政は粛々と処分を遂行せよ、
ということ自体は俺も否定はしない。
しかし、なんで今回カルデロン一家がこれほどの支援を集めているかといえば、
少なくとも日常生活においては彼らが「善良かつ模範的な市民」としてふるまい、
職場や地域住民の信頼を得たからであって、というところもポイントだろう。
単に一家離散の悲惨を訴えるだけなら、こういう支持は集まらない。

そのことを考えればだ、今回の例を特例にすることは、バカどもが吼えているように
「密入国者不法入国者が欣喜雀躍する」ということには必ずしもならんだろうと思う。
というより、たとえそういう連中が跳梁跋扈したとしても、彼らがみな職場や
地域社会で模範的にふるまうことのインセンティブが発生するのだとすれば、
それは悪いことではないだろう。

「正規な手続で入国し在留許可のもとで在住している外国人に示しがつかない」という意見もある。
しかし、見た目でそれが判別できるのか?
カルデロン一家に対する偏見の目が、バカどもが吼えるところの「善良な外国人」に向けられないとは
とうてい言えないと思う。
「外国人」どころか「日本人」である「中国残留日本人孤児」の二世三世たちが「日本人に対する怒り、団結、権利」を
グループ名に暴走族「怒羅権」を結成したということの意味を考えた方がいいんじゃないのかな。

復縁神社