個性ってのは、普通にしてりゃ誰にでもあるもので、当然使えるのもあれば、使えないものもある。 じゃあ使えない個性は「かけがえのない」ものか、それとも単に「要らない」ものか? どうしようもなく使えない、誰もが歓迎しないような個性を持っていて、 でもそこを否定されると人格が全て否定されてしまうような個性を持っている人がいたとして、 しかもその人は周りにそれを認めてもらおうと頑張っているときに、 「キミの個性は要らないよ」と言うのは、正しいこと? たぶん彼が持っているような個性は、誰しも多かれ少なかれ持ってる個性で、 そもそも個性なんて社会からしたら、最初から要らない。 こないだの村上春樹的に言えば、システムという壁の前に、卵は常に「要らない」もの。 だったら一般論として、「使えない個性は要らない」というのはおかしくて、 確かに大々的にキャンペーンする必要はなかったけど、「使える個性の幅を増やすべき」と思って当然。 ていうか「自分は個性的だという不良債権と化した自意識を胸に、平凡な日常をのたうち回っている」人って、 ただ、個性を言い訳に使ってる人だと思う。そんなこと言う時点で個性的でもないし。 江原・島田オススメパワースポット
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使えない個性も要ります

