子供の頃から成人になるまでぐらいかな. 生活や日常の中で少しは何かを楽しいと思えていた. その間もそうだったが,その後それらが次第に減っていった. 一応就職したが,それも一年で辞め,今はフリーター 5年目. 月収は 20万と贅沢しない生活に慣れている自分にとっては 一人暮らしには十分過ぎる金額.使う時間がないぐらいだ. 平日休みであり,おそらく正社員で会社勤めしているだろう 学生の頃の数少ない友達や,前の会社で仲の良かった上司とも 何年も連絡を取っておらず,孤独を好むようになってきている. 今更,誰かと関わったり,何かを背負って生きたくないと. ところが,最近,すぐ近くにある実家に住んでいる 55歳ぐらい(実は両親の年齢というか誕生日が何年か知らない) の父親の勤める会社の仕事がなくなってきたらしい. 製造業だから,昨今,巷を騒がせている事情によるものだろう. ここで悩みや不安を抱えてしまった. 仮に父親が職を失ったとしたら,父親と他の家族を養っていけるか. 家族構成はパートの母親と同じくパートの姉(二人合わせて月収 15万) [...]
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親が早く死んでくれれば…と不謹慎にも思ってしまうことがある
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マジコン違法判決は十分に意味がある
そも、ゲームソフトの違法コピーの歴史は長い。それは80年代から既に存在し、その当時から既に違法化されていたにも関わらず、「私的複製」が許可されていることを盾に「バックアップ」という名前でアングラの世界で細々と生き延びてきた。 しかしこの国では、ゲーマーの著作権に対する意識が成熟し、またゲームソフトが大容量化するに伴い、その行為は更にマイナー化し、じきに絶えるように見えた・・・のだが、どっこい、韓国、中国と言った未だ著作権と言うモノを「理解」していない国の人間がゲームソフトと、その周辺技術を手に入れて流れがおかしくなってしまった。 折も折、現在の主流ゲームコンソールは他のマシンに比べれば小容量のNintendoDSである。大容量化/低価格化したフラッシュドライブがあれば確保できない容量ではない。マジコンの誕生である。 日本人ゲーマーのモラルが向上したことで、ほぼ壊滅状態であった違法コピーという行為が、未だそれを卒業できていない世界から逆流してきてしまったのだ。 そんなモノをアングラ好きな学生が放っておくハズがない。ある程度のリテラシーを持つ層から順に手を出していく流れができていく。 その流れをアングラ出版社が見逃すハズはなかった。書店の店頭には次々とマジコンについての書籍が並び、あたかもマジコンが一般的であるかのような風潮を作りだしてしまった((この辺り、出版社のモラルも問うべきなのだろうが、私的複製云々を持ち出されると文句の付けようがない)) 運の悪いことには、任天堂は丁度DSで、非ゲーマー層を発掘しようとしていた。その狙いは正しい。だが、そこに一つ読み違いがあった。「非ゲーマー層」はかつてゲーマー層が経験してきた「ゲームは著作物である」という認識を得る過程を経ていない。 つまり彼らに取ってゲームとは、ダビングし放題のCD((これ実際のトコ法的にはどうなの?))などと同様の存在に過ぎなかったのだ。そこに先のマジコン本である。となれば違法コピーは普通の行為としか受け取れない。こうして「窃盗行為の日常化」((私にもモラルがありますので、大衆化なんて言葉は使いません))というおぞましい現状が完成する。 ・・・と、まあここまでが背景。私の視点からなので、ちょっと事実と異なる所はあるかも知れないけど、大体の所は外してないと思う。 で、じゃあ今回の判決でどうなるの、という話ですが、 違法コピーが窃盗行為であるという認識を広めることができる→既存ユーザに良心があれば違法コピーは減少する マジコンについての書籍が出版されることを抑止できる→違法コピーを助長する空気の払拭 マジコンの販売が止まることで、マジコンユーザの増加に歯止めがかかり、更なる被害拡大を抑止できる と言った、基本的には良いことしか思いつきません。 ちなみにDSの同人ゲーム云々の話は、ロイヤリティを払ってライセンスを得て、初めてゲームを出せるのがゲームコンソールという機械なので、そもそもの存在が間違っています。 同人ゲーム作家の皆様にはロイヤリティフリーなPCでリリースされることを期待しております。開発環境整ってるしね。 まよぅ~のブログ
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私が地元に戻らないワケ
私の地元は田舎だ。小・中学校ともに1校ずつしかない田舎で、9年間同じメンバーで暮らしてきた。 同じ高校に通った奴もなく、実家も郊外にあったので連絡は途絶えがちになった。大学では、地元を離れ一人暮らしを始めた。 そんななか、二十歳になり、地元での成人式を迎えた。中学卒業以来5年ぶりの再開。変わった奴、変わらない奴、近況を報告しあった。 式典も終わり、同窓会に参加した。思い出話を膨らませようと会場へと向かったがそこは違っていた。 そこには、成人式のような雰囲気はなく、普通の飲み会と化していた。 同じ高校であれば2年ぶり、半数以上の地元に残った奴からすれば昨日ぶりだ。5年ぶり組との溝は大きかった。近況・思い出話をしたいなか、日常の話をされたらたまらない。溝を埋めようにも入っていけないのだ。会場の中心では地元・2年ぶり組が盛り上がり、隅で5年ぶり組が座っている。どうせ、明日からまた逢わないのだ、そんな気持ちが頭をよぎった。 地元組が2次会の参加者を募っているなか、私は家路についた。 もう地元には戻れない。あそこには私の居場所がない。戻れば、あの溝をイヤでも実感してしまう。遊んでもどこかぎこちない。誘われなくても疎外感。 離れていれば同級生が何をやっていても気にならない。ならばだれも知らないところで住んだほうがまだましだ。 もうあのころの関係には戻れない。地元を捨てるとまでは言わない。封印してしまいたい。これが私の地元に戻らないワケ。引越し時期になるといつも思いだす。 看護師求人
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顔が悪くてもモテる奴はいるが、声が悪くてモテる奴はいない
日本人は英語が苦手だと言われる。理由として最初に思い浮かぶのは日本語は欧州系言語に比べて、英語の発音と根本的に異なるからというものだ。しかし自分の経験から考えると、日本語の発音体系に問題があるわけではなく、単に原因は英語っぽく抑揚をつけて喋るのを恥ずかしがってるだけという印象がある。学校の英語の授業を思い出してほしい。音読のときにアメリカ人のように思いっきり抑揚をつけるのは恥ずかしくなかっただろうか?逆に言えば日本人でも感情を込めてメリハリある日本語をしゃべる人は英語の上達も早い。日本語に「抑揚を抑えて発音しろ」というルールがあるわけではないのだ。しかし大部分の日本人は英語圏の人々と比較してボソボソ喋るので「感情が伝わりにくい+発音が悪い」と二重のファルターがかかって壊滅的な英語を話すハメになる。 日本人は農耕民族だから抑揚の少ない言語が発達したのだ、というのは一理ある。だが能楽師や剣道家の発する声を聞いてほしい。抑揚があるというより抑揚しかないと言えるほどにメリハリのある声だ。確かに日本人には猫背でボソボソ喋りがちになる歴史的背景があるが、それは尊ぶべき伝統ではなく克服すべき弱点なのだ。例外的に読経など抑揚を無くすことを良しとする文化もあるが、単純に日常生活でのコミュニケーションに上達したい!というなら抑揚はつければつけるほど良い。良い声というのは抑揚のある声なのだ。低い声や高い声というのは生まれつきだしあまり関係がない。以下、抑揚のある良い声になるための方法をいくつか挙げる。腹式呼吸を鍛えるとか呼吸筋のトレーニングとかは面倒くさいし誰も実践しないので書かない。 1.姿勢を良くする。 やっぱりか、といわれそうだが姿勢というのは声に直結しているし、スラっとした姿勢というのは人類にとって最も普遍的な善だ。その範囲は東洋の古武術、読経から西洋のオペラ、バレエ、果てはアメリカの大統領選挙のマニュアルにまで及ぶ。姿勢を良くするトレーニングというのは何百種類もあるが、最も簡単な方法は「頭のてっぺんに糸がくっついててそこから上にひっぱられてるイメージ」を持つことだ。これならヨガマットを敷いたりダンベルを買ったりする必要は無く、歩いてるときやデスクワークをこなしてるときでさえも、思いたった瞬間に実践できる。 2.自分がデーブスペクターになったと思って喋る コミュニケーションという観点からみればデーブの日本語は日本人よりもうまい。彼の声はどんなアナウンサーよりも抑揚に富んでいる。なんとなく聞き流してるだけではあまり実感できないが、実際にデーブ口調で喋ってみるとあまりの抑揚の豊かさにびっくりするほどだ。デーブ可愛いよデーブ。 3.相手を言葉の通じない外国人だと思って喋る 「脱オタしたら以前のオタ仲間と会話が盛り上がらなくなって関係が消滅した」というのはよく聞かれる現象だが、これは多くのオタがテキスト化可能な2ch的、blog的コミュニケーションに依存しているからだと思われる。この方法に依存しすぎるとテキストを共有していない人間と話すときに頭がフリーズして感情が生まれなくなり、ボソボソ喋るハメになってしまう。相手と自分に共通点が少かろうとかまわず抑揚のある声で喋れるようになるためには、目の前の人間をブラジル人だと思って喋ってみることが有効だ。言葉がほとんど通じないブラジル人とコミュニケートするには、クソ生意気な小学生のように興奮したりはしゃいだり踊ったりしなければならない。必然的に自分の声はどんな相手に対しても抑揚のあるよい声になる。 個人的には歴史上最もよい声をしているのはヒトラーだと思う。声というのは良くも悪くも絶大なパワーを持っているのだ。 復縁相談
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平凡なWeb系PGの日常
10:00 出社 10:05 メール確認 10:00 RSSリーダーから巡回サイトを一通り眺める 11:00 ようやく仕事始め 14:00 適当に昼食に外出する 15:00 RSSリーダーから巡回サイトを一通り眺める 17:00 一番仕事に集中できる時間 20:30 帰宅 某大手Web会社からの受注プロジェクトが主な仕事。 機能の細かい修正、拡張が多いので1週間・一人プロジェクトとかも多い。 ので、帰宅時間もまちまち。 肩書きはエンジニア。 仕事場は自社。 こんなPGもいますよと。 [...]
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観客席にいるつもりの自称中立がカルデロン一家の件を語ってみる
この件については「犯罪者を叩き出せ」と言ってる奴らが100%バカだと思ってる。 最高裁まで争ってダメだと言われたことの重みを理解し行政は粛々と処分を遂行せよ、 ということ自体は俺も否定はしない。 しかし、なんで今回カルデロン一家がこれほどの支援を集めているかといえば、 少なくとも日常生活においては彼らが「善良かつ模範的な市民」としてふるまい、 職場や地域住民の信頼を得たからであって、というところもポイントだろう。 単に一家離散の悲惨を訴えるだけなら、こういう支持は集まらない。 そのことを考えればだ、今回の例を特例にすることは、バカどもが吼えているように 「密入国者不法入国者が欣喜雀躍する」ということには必ずしもならんだろうと思う。 というより、たとえそういう連中が跳梁跋扈したとしても、彼らがみな職場や 地域社会で模範的にふるまうことのインセンティブが発生するのだとすれば、 それは悪いことではないだろう。 「正規な手続で入国し在留許可のもとで在住している外国人に示しがつかない」という意見もある。 しかし、見た目でそれが判別できるのか? カルデロン一家に対する偏見の目が、バカどもが吼えるところの「善良な外国人」に向けられないとは とうてい言えないと思う。 「外国人」どころか「日本人」である「中国残留日本人孤児」の二世三世たちが「日本人に対する怒り、団結、権利」を グループ名に暴走族「怒羅権」を結成したということの意味を考えた方がいいんじゃないのかな。 復縁神社
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なんであのころ、クラスの女子はあんなにもウザかったのか
「みんなで力合わせて頑張ろうよ!」 「なんでやる気ないの?」 「せっかくみんな一緒に頑張ってるんだから、練習しなきゃ!」 「やる気ない人がいると、みんなに迷惑かかるんだよ?」 とどめに「中学生活最後なんだよ?」+泣き落とし。 校内イベントを前にしての、やる気のない男子とせっつく女子というのは日本全国津々浦々にわたっておなじみの光景だと思う。学祭とか合唱コンクールとか。 奴らの唱える魔法の呪文は、いま思い出しても胃がむかつきはじめるほど不快だ。ネタにできるくらいには過去の話になったけど(ちょうどさっき、友人がふざけて呪文を詠唱しはじめて爆笑させられた)。 あの手の決まり文句がなんでイラつくのか考えてみたんだけど、これは大きく分けて2つの言葉で説明できると思う。「数に任せた同調圧力」と「価値観の押し付け」。 奴らは「いろいろあったけど一致団結して目標にむかって取り組んだ輝かしい思い出」を作りたい。そのこと自体には異論はない。思い出はいつの間にか出来上がってるもので、わざわざ捏造するようなものではないとも思うけど、まあそれはいい(起伏のない日常がどうたらこうたら、某ワゴン車のキャッチコピーのごとく「モノより思い出」を重視するように女性は出来ているうんぬんかんぬん)。 思い出作りはいいとして、そのために(無意識にせよ)狡知を凝らして集団を動員しようとするのが、たまらなく不愉快なんだよね。「思い出が欲しいから協力してくれない?」って素直に頭下げればいいのに。まあ無理か。 ともあれ、こういうイベントって前提として数十人が協力しなきゃいけないから、どうしても気の進まない人間が出てくる。男子の大半とか。 そこでどうするかっていうと、まず「数に任せた同調圧力」。こういう状況では女子は団結するので多数派となって、学校行事というお題目も手伝って同調圧力が働く。そこで登場してくるのが「みんな」という葵の御紋だ。「頑張ってるみんなvs迷惑をかけてるあんたら」という構図に持ち込めば、日本人はなんだかんだで従わざるを得ない。水戸の御老公乙。 これはこれでイラつくのだけど、もっと気に食わないのが「価値観の押し付け」。「今頑張らないと将来絶対後悔するよ!」って、おまえは俺のオカンか、細木和子かっつーの。同格と見なしている存在に説教されるほど、腹立たしいことはない。 実のところ、後悔するのは誰かって、当の女子なんだよね。それを外部に投射してくるのもまた不愉快。俺はおまえじゃない。 こんなの社会じゃ当たり前の光景だって言うかもしれないけど、社会化の過程にあるからこそ反発する。ただでさえ敏感な思春期だし。そういう意味では、同じイベントでも高校になると、あんまり「真面目にやれ」「協力しろ」と踏み込まれなくなるのも必然なんだと思う。女子は女子で、適切な距離を学ぶから。 恋愛相談
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卒業式・入学式の写真は燃やそう
うすぐ、卒業式・入学式のシーズン。だが、児童ポルノ法が改正されれば、小学校・中学校の入学式や卒業式、また、高校の入学式の写真を持っているだけで、「18歳未満の被写体が写っており、人によっては性的な写真に見える」という理由で逮捕される可能性がある。もちろん、ただ卒業式・入学式の写真を持っているだけで逮捕されたりはしないだろうが、日本の警察は、別件逮捕を日常的に行っていることを忘れてはならない。警察が、あなたを疑わしいと思ったら、卒業式・入学式の写真をたてに、「児童ポルノ法違反の容疑で逮捕」として別件で逮捕し、23日間拘留して事情を聞く、なんてことは普通に行われるようになるかもしれない。 もちろん、修学旅行の写真も、燃やすか消去しないと、児童ポルノ法が改正されたときに、すべて別件逮捕に使われる可能性がある。自分は関係ないと思っているかもしれないが、例えば、あなたが男性で、自宅の近くで児童に対する凶悪事件が起こったとしたら、とりあえず、現場周辺の男性全員を、卒業式・入学式・修学旅行の写真をたてに「児童ポルノ法違反」の疑いで別件逮捕して取調べする、なんてことは、普通に起こりうるはずだ。 児童ポルノ法の改正に、デジタルカメラなどを製造している電気・電子の大手がなぜ絡んでこないのか理解が出来ない。これらの企業は、よく、子供の運動会のビデオなどを取っているお父さんのCMなどを流して、自社のカメラ/ビデオカメラを買ってもらおうと腐心しているが、児童ポルノ法が改正されると、小学校の運動会の写真やビデオは、全て、児童ポルノに該当する可能性があるということになる。大勢の子供の写真・ビデオが、児童ポルノとして使用されるかもしれないからだ。逮捕されて人生台無しになる可能性がある、という記事が週刊誌に出るだけで、デジタルカメラの売上はがた落ちになるだろう。 電機業界の大手がもっと積極的に、児童ポルノ法の改正に反対してロビー活動を行うべきだ。日本のカメラは、世界的にも強いのだから。 不倫相談
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日常会話が苦手
私が職場などで誰かに話しかけられたときや 独りカフェなどで他人が会話しているのを聞いていると,だから何だろう? なんでその話をするのだろう?私にするのだろう?と思ってしまう. 話す側は話したいから話すのだろうし,別に誰相手でもいいのかもしれない. 大抵,そんなこと一々深く考えていないのだろうけれど… 今日もカフェで読書していると,客が少ないから話よくが聞こえてきて 「近くに新しい回転寿司ができたよね」「あぁ,○○ね」 「東京のチェーン店らしいよ」「ふ~ん」で話が途切れる. 「あの車,信号赤なのに無視してない?」「いや,あの方向に走る車の信号はあっちだよ」 で終わり.そういう話を延々と繰り返して,話題が途切れると耳障りな口笛吹いたりする. 別の日には女が男に子どもと買い物に行った時の詳細を話していたのだけれど 最初にここに行って,何があって,自分がどうしたか,誰が何を話したかとか 逐一くどくど話し出すのだけれど,聞いているとというか聞こえてくるとイライラする. だから何?って言ってしまいそう.私も職場で人の話聞いている振りをしながら または本当に聞こえなくても聞き返すのも面倒だから「うん.うん」と相槌打っていて 時々「どう思う?」とか振られても「うん.そうだね」とか言ってしまっている. 苦笑いしながらも正直に「ごめん.ぼーっとして聞いてなかったww」で済ます. だいたいそれで乗り切れる.特に女性は聞いて欲しいだけらしい. (とその女性自身が言っていた.皆がそうかどうかは知らないけれど) 時々,「どうしてその話をしようと思ったの?」と聞いてみたい衝動にかられる. [...]

